ギャングストーキング警察と警備員が万引きの冤罪を捏造6   警察の暗殺部隊 殺りすぎ防犯パトロール 下2 知恵ノートから転載

安倍政権  創価学会を強奪したカルト

ヤフーブログ ナチス日本警察 国民主権を強奪した裏金カルトに引っ越します。
 
前回の続き 憲兵隊=旧日本軍警察のギャングストーキング拷問虐殺
 
■フィリピン カルロス・P・ロムロ外相(1951年9月7日)

私は、ここで、日本の最も近い隣国の一つであり、不釣合いに重大な破壊を受け、日本のために損害を受けた国を代表して述べているのであります。千八百万の人口のうち、われわれは百万以上の生命を失いました。生命の損失の他に我が国民は未だに癒されない程深い精神的傷手を蒙(こうむ)りました。四年間に亘る野蛮な占領と侵略者に対する不断の抵抗の後、我が国民経済は完全に破滅し去ったのであります。フィリピンがその地域と人口に比して、アジアで最も大いなる惨禍(さんか)を受けた国であるということは意義を挟む余地のないところであります。
 
ベトナム トラン・バン・ヒュー首相(1951年9月7日)

ヴェトナムは、アジア全民族中物資的のみならず、その人民の生命においても最大の戦禍を蒙ったものであることは誰しも否めないところであるからであります。そして占領の悲劇的環境が悲惨な結果に陥し入らしめた幾多ヴェトナム人に対し私が今日敬虔(けいけん)な思いを致さなかったならば、私は我々の死者に対する追悼の義務に欠くることなるでありましょう。我が国の蒙った物質的損失もこれに劣らず甚大であり、且つ我が経済は、今もなお困苦の裡(うち)にあります。道路、橋梁(きょうりょう)は、断たれ、村々は、破壊され、病院、学校は、損失を蒙り、港湾、鉄道は、爆破された。すべては再建させなければならず、しかも不幸にも我々が現在可能以上の資源を必要としております。
 
ラオス サヴァン首相(1951年9月6日)

長い長期の戦争であり、そのぜい弱な資源を挙げて侵略者に抗戦したラオスは、その土壌、遺跡及びその建物に関して被害を蒙(こうむ)ったのみならず、その経済的及び道義的組織も、侵略者の課しうるすべてのものによって被害を受けたのであります。しかしながら、解放以来、ラオスはその痛手から回復し、その民主的制度はラオスをして最も進歩した国の中に列せしめたのであります。すなわち、戦争の犠牲者として、ラオスは今日自由にして且つ、民主的国家群の中にその地位を占めたのであります。
 
カンボジア フレング外相(1951年9月6日)

極東における穀物、魚類、木材、家畜、ゴムの主要生産地の1つであるがゆえのその極めて重要な経済的潜勢力とともに、その地理的戦略的地位のために、我が国もまた、真っ先に日本によって占領されたのであります。この事のために、我が国は、今次大戦によって最も大きな被害を受けたという悲しむべき栄誉を持つ国にその名をつらねているのであります。公的私的財産の受けた大きな被害、長期にわたる占領、日本派遣部隊に対する我が国経済の犠牲による扶持(ふち)、国土の三分の一の数年にわたるき損、これらは、要するに我が国の上にふりかかった禍(わざわい)であります。
 
 
アジアの教科書に書かれた日本の戦争
 
■フィリピン 高等学校用「フィリピン国の歴史」(一九八一年版)

日本軍の残酷さ-とくに地方での女性に対する邪悪な扱い-は、多くの市民がゲリラになる要因の一つであった。ゲリラ活動の広がりを危険視した日本軍は、フィリピン市民に対して残酷さをいっそう加えるようになった。多くのフィリピン人は、有罪無罪を問わず捕らえられ、サンディアゴ砦や、日本軍が接収し刑務所とした他の施設に送られた。家に戻ることができた者にしても、不自由な身体となっていた。
 
インドネシア 中学校用「社会科学・歴史科 第五分冊」(一九八八年版)

当初、日本軍の到来はインドネシア民族に歓迎された。インドネシア民族は、長く切望した独立を日本が与えてくれるだろうと期待した。どうしてインドネシア民族は、このような期待を持ったのだろうか。それは日本がやってきてまもなく、つぎのような宣伝を展開したからである。

日本民族インドネシア民族の「兄」である。日本がきた目的は、インドネシア民族を西洋の植民地支配から解放することである。
-日本は「大東亜の共栄」のために開発を実施する。

その実体はどうであったか。日本時代にインドネシアの民衆は、肉体的にも精神的にも、並はずれた苦痛を体験した。日本は結局独立を与えるどころか、インドネシア民衆を圧迫し、搾取したのだ。その行いは、強制栽培と強制労働時代のオランダの行為を超える、非人道的なものだった。資源とインドネシア民族の労働力は、日本の戦争のために搾り取られた。
 
■タイ 中学二年生用 社会科教育読本「歴史学 タイ2」(一九八〇年版)

タイ人の多くは、日本がタイを占領し、横行することに不満を感じていた。タイ人グループの中には、日本と同盟関係を持つという政府の方針に反対するものもあった。これら一般民衆グループには、連合国から遣わされたリーダーがいたものと思われる。(後略)

在英タイ人留学生の大部分は運動(註:自由タイ運動、反日独立運動のこと)に参加し、イギリス政府の援助を受けた。アーナンタ・マヒドーン王の名代であるプリディ・パノムヨン摂政は、タイ国内に抗日地下部隊を設立した。そしてアメリカやイギリスの自由タイ運動と連絡を取り、様々な行動を起こした。例えば、日本の兵力や動向に関する情報を連合国側に提供したり、破壊行為によって日本の通行を妨害したり、また、日本兵を拘引したりして連合国を援助した。
 
ベトナム 十二年生用「歴史 第一巻」(一九八四年版)

インドシナに足を踏み入れて以来、ファシスト日本のあらゆる経済活動は、直接的にあるいはフランスを通じて間接的に、略奪戦争を遂行するため、資源や食料をできる限り多く獲得することであった。(後略)

もう一つの非道な政策は、日本への供出用と戦争の備蓄用とのために、食料、とくに米の強制かつ廉価な買いつけをしたことである。この非道な政策こそ、市場における深刻な食糧不足をもたらし、一九四五年初頭の数ヶ月の間に、北部で、二〇〇万人以上のわが同胞が餓死した直接の原因となった。
 
シンガポール 中学校初級用「現代シンガポール社会経済史」(一九八五年版)

一二三年間、シンガポールの人々は平和に暮らしていた。日本軍がシンガポールを攻撃したとき、人々は戦争の恐怖を体験しなければならなかった。日本軍が島を占領した三年半の間は、さらに大きな被害と困難な状況が待ち受けていた。この時期は、日本軍占領時代として知られている。

(中略)シンガポール昭南島(ショウナントウと発音)、あるいはショーナンアイランドと名前を変えさせられた。”ショーナン”は”南の光”を意味する。しかし、この”光”は明るく輝くことなく、シンガポールの人々は日本の支配下で彼らの生涯のうち、もっとも暗い日々を過ごした。

日本軍警察であるケンペイタイについては、恐ろしい話がたくさんある。「ケンペイタイ」ということばを口にすると、人々は心に恐怖の念が打ちこまれる思いをもつことだろう。ケンペイタイは島全体にスパイをおいた。だれを信じてよいのかだれにもわからなかった。スパイによって日本軍に通報された者は、オーチャード通りにあるYMCAや、クィーン通りにあるラッフルズ女学校といったケンペイタイの建物に連れて行かれた。そこで彼らはあまりにもひどい拷問を受けたので、多くの者は自分の受けた苦しみを人に告げることなく死んでいった。
 
■マレーシア 中学校二年生用「歴史のなかのマレーシア」(一九八八年版)

日本は、マレー人の解放獲得への期待を裏切った。日本人はマラヤを、まるで自分たちの植民地であるかのように支配した。今度は彼らがイギリス人の座を奪ったのだ。日本の支配はイギリスよりずっとひどかった。

日本がマラヤを占領したとき、彼らは中国人に対して、厳しく乱暴だった。彼らはすべての中国人は反日であると疑っていた。シンガポールを占領したのち、日本は数万人の中国人を殺した。マラヤの他の地域の中国人もまた、同じようにひどく扱われた。疑いを持たれた人間はすべて捕まえられ、刑務所に入れられた。
 
ミャンマー 八年生用「ビルマ史」(一九八七年版)

「独立」したとはいえ、ビルマ政府には本来あるべき権限はなかった。ファシスト日本が許容した権限があっただけである。日本時代にもっとも強大な権力を見せつけたのは、日本軍のキンペイタイン(憲兵隊)である。憲兵隊が管轄し、処理する事柄については、階級の上下を問わず、いかなる日本軍将校も口出しできなかった。一般の国民は、憲兵隊の思うがままに逮捕され、拷問され、さらには虐殺されたのである。こうしたファシストの弾圧の結果、無法者から学歴があまりない者までが、反乱への怒りの炎をたぎらせた。真の独立を望む声は全土に広がった。民族、男女を問わず、僧侶も一般国民も、ファシスト日本に反乱を起こそうという強い決意を抱くようになった。
 
 
2005年5月20日(金)「しんぶん赤旗
 
日本の侵略戦争美化
 
東南アジアが厳しい目
 
ハノイ=鈴木勝比古】東南アジア諸国小泉首相靖国神社参拝、戦争を美化する「新しい歴史教科書をつくる会」主導の教科書の検定合格にかつてない厳しい批判の声が上がっています。

シンガポール外務省報道官は四月二十二日に日本の教科書問題について「日本の教科書(検定)当局が太平洋戦争についての奇妙な解釈を承認したことは不幸なことである」とコメント。こうした批判は日本が侵略した東南アジア各国の共通した見解です。

インドネシアの有力紙コンパスは四月二十五日付の社説で、日本政府は「残虐な行為をした歴史を隠そうとしている」と批判しました。

マレーシアでは二大華字紙(星洲日報と南洋商報)が連日、大きなスペースをとって教科書、靖国参拝を厳しく批判する報道をしています。星洲日報は二十回に及ぶ長期連載記事を掲載。第一部が中国編「中国と日本、百年のかたき」(十二回)、第二部が韓国編「韓国と日本、民族の恨み」(三回)、第三部が東南アジア編「皇軍が踏みにじった東南アジア」(五回)でした。体験者が語る「三年八カ月」のマレーシア・シンガポール占領の時期の苦難は多くの読者の反響を引き起こしています。

これに加えて、太平洋戦争終結六十周年を機に、日本軍の侵略・占領による被害を改めて思い起こす企画も各国で取り組まれています。

シンガポールではセントーサ島の博物館などで日本軍占領時代の展示の充実化がはかられています。

ベトナムでは、最大の発行部数のトゥオイチェ(若者の意)紙が三月一日付から「一九四五年の飢餓」とのタイトルで六回連載を行いました。ベトナムでは日本軍占領下の四四年から四五年にかけて日本軍による食料の収奪と天災が重なり、ベトナム政府によると、二百万人が餓死しました。

ホーチミン市戦争証跡博物館では九月二日の建国六十周年に向けて新館建設の工事中ですが、この新館に「二百万人餓死」のコーナーが設けられることになっています。

マレーシアの日本留学経験者が組織する「日本留学生協会」理事の張燦泉(チャン・チャンチュアン)さん(66)はクアラルンプールの同協会支部の事務所で「過去の戦争を正しかったと教えたらまた戦争が起こります。私は日本の国民が好きです。ぜひ皆さんの手で正してほしい」と本紙に語りました。
 
 
2005年8月12日(金)「しんぶん赤旗
 
戦後60年
 
記者がさぐる 戦争の真実
 
アジアの独立
 
日本が解放したのか?
 
インドネシアの教科書は

●『社会科・インドネシア国史2・小学校五年生用』一九九七年=世界の歴史教科書・明石書店から

日本がはじめ、インドネシアの民衆にたいして親切でやさしい態度をとっていたのは確かである。しかし、時がたつにつれ、日本のインドネシア民衆に対する態度は、変わっていった。日本の行動は残酷なものになっていった。

一般に植民者の態度はどこも同じである。つまり、残虐で、搾取的で、非情である。私たち民族の運命は、トラの口からのがれ、ワニの口に入るということわざにたとえることができる。これは、どういう意味だろうか。それが意味するところは、日本がやってきたことにより、オランダ植民地時代に受けた犠牲はなくなるどころか、むしろ、事態は悪化したということである。

(中略)

日一日とインドネシア民衆の犠牲は、悲惨なものになっていった。民衆が命令に従わないと、日本は重い刑を下した。当時、私たち民族の運命は、実に苦しいものであった。食べ物は、すべて枯渇していた。飢えた腹を満たすために、民衆はおよそ人間が食べる物とはいえないような、タピオカの皮やバナナの皮などを口にせざるをえなくなった。
 
 
2005年8月20日(土)「しんぶん赤旗
 
 
「大東亜」批判を再録
 
日本の美化論の誤りを指摘
 
ハノイ=鈴木勝比古】ベトナム共産党中央機関紙ニャンザン十九日付は、日本占領軍から権力を奪った八月革命六十周年記念日(十九日)にあたって、当時のインドシナ共産党(現ベトナム共産党)のチュオン・チン書記長が執筆した論文「日仏の衝突とわれわれの行動」の全文を掲載しました。六十年前、日本軍の支配の実態と「大東亜共栄圏」のいつわりを告発したこの論文は、日本の一部勢力による「大東亜戦争」美化の誤りを明らかにしています。

日本軍は一九四〇年に仏植民地下のベトナムに進駐し、日仏共同でベトナムを支配しましたが、四五年三月九日に軍事クーデターで仏植民地政権から権力を奪い、ベトナムを単独の軍事支配下に置きました。

インドシナ共産党はこの情勢の変化を分析し、三月十二日付で「日仏の衝突とわれわれの行動」と題する指示を出しました。日仏を「二つの敵」とした情勢から、日本を「主敵」とするに至った情勢の変化をとらえ、日本軍に対するベトナム人民の決起を呼びかけたもの。その後、当時の党機関紙「解放旗」六月十五日付は同じ題名の論文をCGP署名(チュオン・チン氏のペンネーム)で掲載しました。

論文は、フランス軍は日本軍に敗北したが、党は「連合軍が上陸しなくても、わが人民とともに日本に対する抗戦を続ける」と述べ、「日本ファシストに反対する任務を最優先とする」ことを明らかにしています。

さらに「現在、飢餓が深刻になっている。日本軍はわが人民を直接、残虐に殺りくし、搾取している。人民はいまだかつてなかった苦しみに直面している」と述べ、「われわれは日本ファシストをせん滅し、人類に平和をもたらすために血肉を犠牲にして連合軍に貢献している。われわれは日本の『大東亜』論にだまされない」と強調しています。

インドシナ共産党は八月十三日から十五日にかけて抗戦根拠地のタンチャオで全国会議を開催して全国の総蜂起を決定。ハノイで八月十九日、十万人が決起し、市内各所の権力機関を接収しました。八月末までに全国に蜂起が広がって各地の権力を奪取。九月二日にホー・チ・ミン主席がベトナムの独立を宣言しました。
 
 
【アジアの目】親日ミャンマー歴史教育
 
2013.2.14 05:00

日本企業がミャンマー進出を検討する理由の一つに「親日国」であることがよく挙げられる。一方、ミャンマー人は、日本軍による占領期の実態についてよく知っている。そこにどのような認識の違いがあるのか、同国の歴史教育に詳しい上智大学根本敬教授に聞いた。

◆日本占領も学習

--ミャンマー親日国だといわれるが、実際はどうか

「それは個人による。良い日本人と出会ったビルマ人は日本に良いイメージを持っているし、日本のことが好きだろう。それは英国に対しても同じだ。英国は植民地統治した国で、日本は3年半にわたり軍事占領した国だ。学校教育では『帝国主義イギリス』と学ぶ。その英国を追い出した日本は『ファシスト日本』と教える。彼らは、帝国主義者ファシストによって統治された経験を持ち、帝国主義ファシストに抵抗し、現在の独立国があると学ぶ。ただ、独立後、英国も日本も駄目だとか、反感を持たせるような教育は行っていない」

--歴史は何年生から教えるのか

「小学校入学から高校卒業まで10年間あるが、小学校からミャンマーの歴史と世界の歴史とを分けて学ぶ。1年から4年は国史。人物やトピック中心で偉人や戦争の話、植民地統治、わずかながら日本の占領なども出てくる。中学1年生にあたる5年生から系統的な歴史教育に入る。日本占領期について教えるのが6年、8年、10年生だ。このなかで英国の帝国主義とともに教えている」

--具体的には何と書かれているのか

「例えば、中学の最終学年の8年生の歴史教科書には『連邦に住むすべての民族はファシスト日本撲滅に向けて、一致団結した』とある。主語は民族の偉大な指導者、アウン・サン将軍。ビルマ国軍という表記も出てくる。アウン・サン将軍と国軍を強調し、打倒対象はファシスト日本と書かれている。もっとも、アウン・サン将軍と国軍の偉業を強調することに狙いがある」

--日本占領下の様子についてはどう教えているのか

「事実を淡々と教えている。占領期の行政や経済、生活という項目を高校最終学年の10年生で教える。物価がどのくらい上がったとか、物不足や英国軍の空襲でいかに大変だったとかだ。日本軍が強制労働を課したので泰緬鉄道の建設、橋や飛行場の工事に動員されたという話も出てくる。ただ淡々と記述されており、日本への憎しみをあおるような表記ではない」

◆独立援助は禁句

--反日教育は行っていないといえるか

「教師の指導書には憲兵隊に必ず触れるよう書いてある。日本語からきた『キンペイタイ』という言葉だ。指導書には、どういう拷問を憲兵隊が行ったかを授業で教えるようにとある。爪を剥いだとか、熱湯に手を入れさせたとか、いくつもの事例が挙げられ、それを授業で触れるようにと記されている。手元にあるのは2000年の教科書だが、その後、教育内容が大幅に変わったとは聞いていない。現在、成人になっている人は、こういう歴史教育を受けているのは間違いない」

--ミャンマーの人々とつきあう上で、気をつけないといけないことはなにか

「間違っても、日本がビルマの独立を助けたなどと言ってはならない。日本の支援で独立したなどといえば、彼らはすぐ顔には出さないが、積もり積もって、大きな反発を受けることになる。また、日系企業で働くビルマ人の友人は、上司が(野党指導者の)アウン・サン・スー・チー氏の悪口ばかり言うのに、上司だからと思って反論しなかったら、『やはりビルマ人は本音は彼女が嫌いなんだ』と勘違いされ、困ったと話していた。日本人以上に感情をなかなか見せないし、相手に配慮するという国民性をもっと理解すべきだろう」(聞き手 宮野弘之)
 
 
太平洋戦争開戦時の米大統領フランクリン・ルーズベルトは「日本人は有史以来、もっとも卑怯で無恥な民族だ」と断じた。
 
フランスの偉大な思想家、モンテスキューは「日本人の性格は非常に変態。ヨーロッパ人にしてみれば、日本は血なまぐさく、変態で、殺りくを好む民族だ。日本人は頑固で、自分勝手で、自信過剰で、愚昧で、無知で、上には媚びへつらい、下に残虐だ。日本人はすぐ人を殺すし、すぐ自殺する。自分の生命はおろか、他人の生命など心中にない。ゆえに、日本は混乱と仇討ちに満ちている」と評した。
 
ヒトラー わが闘争 原文
「日本人は創造性の欠如した劣等民族だが、小器用で小利口で犬のように従順だから上手く利用すれば役に立つ・・・」
 
 
天皇のため、お国のため、殺戮の限りを尽くしヘラヘラ嘲笑って楽しむ
大日本悪魔帝国の帝国軍兵士  天皇陛下万罪!! 天皇
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大日本悪魔帝国の忌まわしき亡霊
帝国軍(国防軍)=自民党公安警察公安調査庁特高警察)
         自衛隊GHQ警察予備隊)、総務省内務省
         電通憲兵隊)、日本病院(731部隊
天皇財閥=三井・三菱・住友その他の大企業
WASP米帝傀儡=CIA日本警察、CIA日本検察、最高裁判所
畜生日本人=ネトウヨ安倍晋三親衛隊)、自民党ニコニコ動画北朝鮮似非右翼
      ユーチューバーKUZUYA(日本会議お抱え)、大本教系カルト信者
      殺りすぎ防犯パトロール自治会・生活安全条例)
 
10.安倍晋三から創価学会を取り戻す
 
LITERA
 
2016.05.21
 
創価学会信者の間で安倍政権の改憲路線と追従
する執行部への怒りが沸点に!婦人部を中心に
クーデターの動きも
 
参院選まであと2ヶ月を切るタイミングだというのに、連立政権を組む
公明党のバックにいる創価学会がそしきとしてほとんど動きを見せていない
というのだ。
 
「『憲法改正』を参院選の争点に掲げた安倍首相に、公明党内部で猛烈な
 反発が生まれているんだ」
 
こう語るのはある学会ウォッチャー。しかも、創価学会内部でこんな物騒な
話も真顔でささやかれているという
 
「少し前、創価学会でクーデターのような動きが起きていた。この動き自体は
 事前に潰されてしまったようだが、安倍政権に批判的な勢力は婦人部を中心に
 今もくすぶっている。こうした勢力が、次の選挙では執行部の方針に反旗を
 翻すんじゃないかといわれている」
 
周知のように、昨年夏、公明党が安保関連法に賛成し、創価学会の執行部も
それを支持したことに対して、学会内部で激しい反発が起きた。
東京の信濃町にある創価学会本部前では、安保法制に反対する
母親たちの団体「Mamademo」が、「創価学会は平和主義」 
公明党に平和をめざめさせて」といったプラカードを掲げる”サイレントデモ”
を実施。国会前で行われている抗議デモでは、プラカードを掲げる人も登場した。
 
 
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創価大学の職員
「現在、9割の憲法学者が『違憲』と判断している安全保証関連法案が、安倍政権
により採決されようとしています。私たちはガンジー、キングの人権闘争の流れに
連なる創立者池田大作先生の人間主義思想を社会に実現すべく学び続けていました。そこで培った人権意識を持つものなら、声を上げるべき時は、今です。」
 
この状況に、拍車をかけたのが、昨年11月に強行された学会幹部の
”粛清人事”だった。学会ナンバー2といわれていた正木正明理事長が
会長の諮問機関にすぎない「参議会」副議長という閑職に飛ばされたのである。
 
創価大学は、原田稔会長体制が10年目を迎えるが、この数年、次期会長をめぐって、
この正木正明理事長派と谷川佳樹副会長派に真っ二つにわれていた。
両者は政治姿勢、政権との距離でも大きな差があった。
正木理事長派は創価大学出身で、教義に基づいて平和路線を説き、婦人部からの
信任が厚い人物。一方、谷川副会長は、腹心の佐藤浩副会長とともに菅義偉官房長官
とべったりでこの数年は露骨に安倍政権に擦り寄りを見せていた。
 
両者の力関係は当初、拮抗していたが、2,3年前から、谷川副会長派が権力を
拡大し始め、2015年には、主流派としてほぼ組織の主要部分を掌握したと
いわれる。学会が集団的自衛権、安保法制容認に転換したのも、安倍政権と近い
谷川副会長が実権を握ったことが大きかった。
 
「谷川副会長は、東大卒の能吏で、巨大な学会組織の隅々まで知り尽くしている。
 自在に動かせる顧問弁護士グループも擁し、まるでヒトラーの”ゲシュタポ
 のごとく現執行部に弓引く者をかたっぱしから除名処分してきた」(政治部記者)
 
つまり、昨年11月の、正木理事長の左遷人事はその権力抗争の最終決着、婦人部を
はじめとする護憲・平和主義勢力の最後の砦が崩れたということを意味していた。
 
「昨年11月の人事で正木一派を一掃し、谷川氏は次期会長ポストをほぼ手中に
収めたといわれる。しかも、谷川派は、正木氏の更迭と同時に婦人部幹部も一掃
してしまった。それはもう北朝鮮並みの粛清人事といわれている」
(前出・政治部記者)
 
「少し前には、谷川氏らを中傷する怪文書騒動が持ち上がり、弁護士グループを
 使って刑事告訴する事態になっている。すると今度は弁護士グループを告発する
 文書が出回った。さらには、池田大作名誉会長の神格化を狙う執行部による    教義変更を牽制する内部レポートがばらまかれ、実行犯と目された幹部職員が
 粛清されるなど内部抗争が激化してきた」(週刊誌記者)
 
 
創価学会婦人部の予言の書
 
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私は天皇にはなりたくない
 
 
教育勅語この支配からの卒業