ギャングストーキング警察と警備員が万引きの冤罪を捏造6 警察の暗殺部隊 殺りすぎ防犯パトロール 下 知恵ノートから転載

天皇教 東アジアを強奪したカルト


      プロパガンダ映画「日本のいちばん長い日」は洗脳アイテム
         和風クリスチャンと国策銀行家の
          超巨大侵略ネットワーク、
           それが天皇教の正体だ!


        私たちは、目に見えない
        電磁波攻撃を受けている!
 
      奇妙で信じられない話だが、東アジアは天皇教という悪魔崇拝カルトに
      侵略されている。この狂信的集団は大日本皇道立教会加治屋町
      が結託した組織だ。奴らは日本の経済を詐欺的手段で操作している。
      東アジアは現在、天皇教に服従するように再設計されている。天皇
      は自由や人権といった制度を弱体化し、監視・弾圧・暗殺をもたらそうと
      している。奴らはすでに軍事的侵略を実現した。そして今や、日中戦争
      を企図している。



         ギャングストーキング被害者が暴く
         天皇教巨大侵略戦争の全豹   



       なぜ今 あの時代の日本を描いたのか?
   
       また同じ時代が来たから
       ーーーー宮崎駿(風たちぬ)


7.悪魔大帝ヒロヒトラー(太陽神)と帝国軍の侵略戦争とギャングストーキング犯罪

悪魔崇拝カルト天皇教が力を増している。
邪悪な監視する目が私達を見ている。
再び暗黒の時代が来た。

日本警察・公安警察・日本検察・畜生日本人が国家国民ぐるみで
起こしたギャングストーキング国家テロ犯罪「警視庁公安部イスラム捜査流出資料事件」
この国家テロ犯罪では、公安警察や警察の手先となった畜生日本人による監視や嫌がらせが
イスラム教徒やその家族によって暴露された。
このギャングストーキング国家テロ犯罪の証拠資料はファイル交換ソフトWINNY
通じて全世界に拡散された。しかし都合よく尖閣諸島沖で中国人の船長が逮捕されて
マスゴミによって警殺犯罪の報道はそらされ、かき消されてしまった。

天皇家の親戚である安倍政権の暴走は止まらない。
日本版FEMA、日本版NSC、特定秘密保護法集団的自衛権、安保法制、沖縄いじめ
閣僚や自民党議員による独裁とナチス暴言。

内閣職務の7つの中に法律の規範と国会への提出は入っていない。日本国憲法第73条。
41条、国会は唯一の立法機関である。
歴代自民党政権はほとんどの法律を自ら規範し、内閣閣議決定して、国会に提出してきた。
明白な憲法違反。

生長の家安倍晋三 「私は立法府の長」
日本基督教団石破茂 「戦争に行かない奴は死刑」
フランシスコ・麻生太郎 「ナチスのやり方を真似てはどうか」
ナチスを米国と南米へ亡命させたのがイエズス会フランシスコ会

安倍信者ネトウヨによる
護憲発言・A級戦犯発言をした天皇・皇后に対する「在日認定」。

右傾化した創価学会の集団ストーカー被害者による
憲法改正・日本版NSCスパイ防止法の推進。警察犯罪被害者への「偽被害者認定」。
沖縄戦時に日本軍は琉球語を使用した現地住民を敵のスパイとみなして虐殺している。1945年4月9日に日本軍によって出された命令書に以下のような内容がある。
爾今軍人軍属ヲ間ハズ標準語以外ノ便用ヲ禁ズ沖縄語ヲ以テ談話シアル者ハ間諜トミナシ処分ス
戦場で「間諜とみなし処分す」とはすなわちスパイとみなして処刑・殺害するという意味に他ならない。

旧日本軍・内務省から派生したのが日本警察であり、公安警察は戦前の特高警察。
自衛隊の前身はGHQが作った警察予備隊であり、自衛隊情報科がテクノロジー犯罪を犯し日本最大の犯罪組織となっている。
自衛隊の音声送信非殺傷性兵器MEDUSA。

体制派・畜生日本人による
右傾化・排外主義を煽るデモや集会。「朝鮮人を殺せ」と酷い事をいう。
それを擁護、野放しにし酷い事をするダメダメ日本警察。

在特会のデモに抗議した女性の首をしめて暗殺を図った公安警察
しかし、罷免されなかった。公務員の選定罷免権は国民固有の権利であると
憲法第15条にあるが、必要な手続きを制度化してないから実行されない。

警殺は家宅侵入で物を盗まれても、扉をバールなどで壊されてないと現場検証しない。
被害届すら受け取らない。弁護士が書いた詐欺の告訴状であったとしてもだ。

テレビ・ネット・出版社による愛国ポルノの蔓延。
日本だけが自国を褒め称え、他国を馬鹿にする過ちを犯している。
他の人類は他人叩き、嫉妬が「自分の身を滅ぼす」と知っている、だから「個人主義」「他人への無干渉」「自由主義」と社会を進歩させている。

愛国ポルノで一番許し難いのは侵略戦争の正当化である。
大日本悪魔帝国の魔の手によって東アジアに略奪、拷問、殺戮がもたらされた。
これらの歴史の真実が日本の学校で教育されることは無い。
学校そのものが文部科学省支配下にあるからだ。


●戦犯天皇ヒロヒトラーの侵略戦争ビジネス

天皇財閥とは、天皇を中心とした企業グループである。
天皇家を財閥家族とし、非課税特権に守られている宮内省を本社機構に持つ。
あまりにも巨大なので、日本全体がこの財閥の興亡に左右される。
日本最大の財閥であり、三菱、三井をさらに数倍上まわる。

天皇財閥の傘下
日本銀行(金融マフィア)、横浜正金銀行日本共産党
南満州鉄道株式会社(麻薬マフィア)
日本赤十字社(輸血売買マフィア)、日本郵船(売春マフィア)といった
日本を代表とする「国策企業」群を有する
大企業グループである。
天皇家宮内省はこれらの大企業を株式を通じて支配した。

宮内省の御用
皇室の財産・山林管理や投資
大企業の株の管理運用、配当金の扱いなど。
宮内省は戦後、宮内庁に変更されて、そのまま引き継がれる。
厳重なセキュリティで皇居内に置かれている。

戦前の天皇は、立憲君主、戦争時の大元帥、財閥総帥であった。
天皇は、日本を代表する複数の国策企業の大株主であり
特に日本銀行過半数を超える株式を持つ大投資家であった。
皇室は日本銀行の株の47%を所持し銀行支配を徹底した。
だから紙幣を発行し、公定歩合を調整するたびに
莫大な利益が皇室に流れた。

日本の対外侵略とは、天皇財閥の対外経営戦略であり
敗戦はその破局的な終わり方だったのである。
(自己消滅の傾向がカルトの最も不穏な点である。
 人間の集団の多くは、発生、発達、安定、ゆっくりとした
 衰退のパターンを示すが、カルトの一部はそうではなく
 最後に破局を迎える。)

昭和天皇が戦争狂になった背景。
戦前、皇室には予算として
年額450万円が
国家予算から計上されていたが

一説によれば天皇の総資産は
少なく見積もっても
約16億円であるという。

だが、宮内庁のこの数字は嘘で
本当の総資産額は

海外へ隠した資産を含めれば
信じ難いような
天文学的金額であるとも言われている。

当時皇室は
横浜正金(後の東京銀行
興銀
三井(麻薬マフィア)
三菱(麻薬マフィア)
満鉄
台湾銀行
東洋拓殖
王子製紙
台湾製
関東電気
日本郵船など
大銀行、大企業の大株主であり
その配当総計は莫大なものであった。

すなわち、これら企業、銀行の盛衰は
そのまま皇室に影響を及ぼすわけである。

こうなると戦争で
財界が植民地から搾り盗る程に
皇室は豊かになるということになる。

戦前の天皇家と国家、あるいは天皇家と資本家の関係が
これで言い尽くされるであろう。
天皇は昭和の大戦争に深く関与した。

いかにユダヤ金融資本(中身はキリスト教金融資本。
ロスチャイルドを雇ったのがヘッセン選帝侯。
選帝侯という、神聖ローマ皇帝を選ぶ投票権を持っていて
しかも通貨発行権と「ユダヤ」(の銀行家)の保護(=管理支配)権を
持っていた、銀行家の親玉にして後の王族にまでなった者すらいる大貴族。
エリザベス女王プファルツ選帝侯フリードリヒ5世の末裔。
神聖ローマ帝国の国教がキリスト教。)から仕掛けられた
戦争であろうとも、大企業、大銀行を、みんな戦争経済へと誘導した
大株主の天皇の戦争責任は重大だ。

天皇家日本郵船は明治期から深い仲にあった。
日本郵船の大株主は天皇三菱財閥であった。
当時は、海外渡航といえば船舶しかなく、日本郵船は日本貿易の命綱である。
この日本郵船が数十万人といわれる大量の移民を海外に送り込んだし
日本人の女を売春奴隷として、大量に海外に売却した。

天皇は大阪郵船の大株主でもあり、
これを使って日本は手に入れた外地へ人間や物資を運ばせ
莫大な利益をあげさせた。
天皇と三菱に娼婦の海外輸出は得策と進言したのが福沢諭吉

慶応義塾とは、日本資本主義と天皇を支える私立の
重要な学校であった。財界人を多く輩出したのは慶応義塾
官製の東京帝国大学であった。

そこを出た財界のトップたちは、2.26事件を影で操り
そこから一気に戦争経済へと主導し、政府要職にも就くなどして
日本を大戦争とその果ての破局へと導くのである。

昭和天皇が麻薬狂になった背景。
同じ手口(米国に移民を送って儲けた話)を
皇室と三菱は考えた。

ペルシャ(イラン)からのアヘンの輸入であった。
三井も仲間に入れることにした。

三井を入れなければ内乱が起こる
可能性があったからだ。

三井と三菱は隔年でアヘンをペルシャから入れ
朝鮮に送り込んだ。

満州という国家はこのアヘンの金でできた。

天皇一族はこの利益を守るために
秘密組織を作った。

厚生省という組織に
天皇木戸幸一(後に内大臣)を入れ
アヘン政策を推進させた。

1938年(昭和13年)12月に興亜院が作られ
アヘン政策を統括した。

日本でもケシ栽培をし、朝鮮に放り込んだ。
中国でも熱河省でケシ栽培をした。

この利益も皇室の財産の形成に大きく貢献した。

ほとんどの軍人たちが
三菱と三井のアヘンの一部をもらって
遊興に明け暮れた。

天皇も、財閥も、軍人も、アヘンという恥ずべき巨悪に手を染め
巨利を得ては遊興に使うために、戦争を次々に仕掛けたのだった。

それ故、天皇は終生、中国と朝鮮に足を踏み入れる事が
出来なかった。

天皇は自らの助命と引き換えに
沖縄の永久使用を米軍に提供したので
これまた沖縄を行幸する事が出来なかった。

皇室は蓄えた資産をモルガン商会を通して
海外で運用していたが、プラチナ、金塊、銀塊などが
スイス、バチカンスウェーデンの銀行に預けられていた。

さらに取り巻きの重臣たちもそれに倣って同商会に接触
そのおこぼれに預かっていた。

中立国スイスには敵対する国の銀行家同士が仲良く
机を並べて仕事をしている奇妙な現象が見られるが

中でも国際決済銀行、通称バーゼルクラブは
世界の超富豪が秘密口座を持つ銀行で
治外法権的な存在であった。

同行は不安定な紙幣ではなく
全てを金塊で決済する銀行であった。

内大臣木戸幸一は、日米英戦争末期の
昭和19年一月

日本の敗北がいよいよ確実になると
各大財閥の代表(銀行家)を集め

実に660億円(当時)という気の遠くなるような巨額の
皇室財産を海外に逃がすよう指示した。

皇室財産は
中立国であるスイスの銀行家に移され
そこできれいな通貨に”洗浄”されたが

その際皇室財産は
敵対国にバレぬようナチスの資産
という形で処理された。

スイスは秘密裏にナチスに戦争協力したので
ナチスの名の方が安全だったわけである。

昭和天皇大東亜戦争中、宮中に大本営を置いて
陸海軍の下僚参謀を指揮して作戦を実行した。

それの実態が連合軍にバレれば自分も戦犯として
処刑されるという恐怖と、せっかく築いた莫大な資産が
取り上げられる事を心配したのだ。
(無論、実態は連合国は承知していた。)

天皇が自分の蓄財しか頭になく、日本人の事など何も考えてないのは明白である。(ポール·マニング「米従軍記者が見た昭和天皇マルジュ社)

だから彼は、資産をスイスや南米の銀行に預けた。
海軍の潜水艦を私的に使って
アルゼンチンに金塊を避難する事までやった。

宮中の女性を東京裁判
キーナン検事に提供して歓心を買い

戦時中の陸軍軍人の内輪情報を
(田中隆吉を使って)チクっては

責任を全部東条らに押しつけて
彼らが絞首刑になるように誘導した。

みんな、自分の命乞いのため
そして資産保全のためである。

中島知久平(中島飛行機ゼロ戦の製造で有名)は
陸軍が(支那事変で)いまだ戦線を黄河あたりまでで
とどめようとしているとき、閣僚の一人として漢口まで
行かねばならないと主張した。

もっとも大胆に(中国戦線)拡大を唱えたのは
鐘紡社長津田信吾である。

彼は中国との全面戦争とともに、イギリスとの戦争を説いた。
彼の強硬論は鐘紡の高利益の基礎に外地会社の多角経営があり
これを積極的に中国領内に拡大する希望を持ったこと

中国国内に原材料基地を見出さねばならぬという
因果関係からくるものであろう。

中島知久平が閣僚になって戦争を主張したように
また玉子製紙社長の藤原銀次郎は、海軍顧問、商工大臣、国務大臣、軍需大臣を歴任し

その地位を利用して戦争でしこたま儲けたクチである。

戦後、自民党の大物議員で60年安保時に外相を務めた藤山愛一郎も
戦前、大日本製糖社長として、戦争を煽った人物である。

彼は台湾での製糖事業を一手に握っていたが
さらに南方と中国南部にで製糖工場を広げるべき軍部と
結託した人間である。

こうした三井、三菱以外の中小企業も
積極的に戦争経済を推進しようと図ったのである。
それを最も喜んだのはこれらの会社の大株主だった天皇であった。

こうして見てきたように、天皇は莫大な蓄財を行うために
財閥と組んで国民を売り飛ばし
戦争を仕掛けて国民を殺してきた。

責任は全て軍人と国民とに押しつけた。
血も涙もない、とはこのことではなかっろうか。

終戦時、オーストラリア、ニュージーランドそして中国の高官は全て
裕仁天皇は日本の君主であり、日本の戦争責任者のリストの先頭に
おかれるべきであることに同意していたことがキャンベラの書庫で発見された。


8.キリスト教フリーメイソン大日本皇道立教会=加治屋マフィア

陰謀論ではユダヤのタルムードが悪い、イルミナティ悪魔崇拝が悪いと言われる。
しかし、何故か全ての悪の根源であるキリスト教の神や聖書は非難されない。
聖書にはこんな神の言葉が書かれている。

サムエル記上 15章
「さあ、行ってアマレクを討ち、そのすべてのものを奉納物として滅ぼし尽くせ。
容赦してはならない。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、ラクダもロバも殺せ。」

つまり、自分に逆らう奴は生贄にして皆殺しにしろと書いてあるのです。
聖書=殺戮の書=殺人宗教キリスト教 1億人を殺したと言われている。

明治維新で日本はキリスト教の植民地となった。
戦前の天皇は現人神だったが、この「現人神」という言葉じたいが
イエス・キリストの訳語である。

和風キリスト教である天皇教=国家神道という邪教に支配された日本は
侵略戦争を繰り返し、聖書の言葉の通り略奪、拷問、殺戮の限りを尽くしたのだ。

国家神道キリスト教のパクリである証拠

  日本を戦争へ暴走させた元凶。
他の宗教を教義に合わないだけで排除·禁圧する。

エスキリトの代わりに天皇陛下を、聖書には古事記を当てはめ、一神教のごとく他の神々を異端として抑圧した。皇室の祖先である天照大神最高神とする伊勢神宮が聖地となり、皇室神道儒教を加えた教育勅語を教典として国粋主義の教育が行われた。

思想や言論の自由も同様に抑圧し、国家神道に違反する者を投獄した。
小学生にすら天皇を神として命を捧げる事を強制した。

欧米諸国はキリスト教の伝道を使命として植民地拡大を正当化している。
つまり、聖書(日本では古事記)こそが戦争の元凶である悪魔の書だ。
中世キリスト教は十字軍をはじめとして異教徒の処刑·殺害を見許していた。
世界各地の植民地と米国の奴隷制度は西欧のキリスト教徒による人種差別の産物。「八紘一宇」(天皇の威光を世界の八方に拡げ一つの家にする。)を旗印に掲げた「聖戦」はキリスト教の模範。国家神道とは神道モドキの疑似キリスト教だ。

創価学会フリーメイソンの繋がり

創価学会の前身が創価教育学会、創価教育学会の母体が、大日本皇道立教会、である
ことを前提で考えると、大日本皇道立教会のメンバーは、フリーメイソンと関わりが
深いから、コシミズは、創価学会フリーメイソンの繋がりを タブーにするわけですよ。。
コシミズ理論では、①創価学会が腐ったのは在日朝鮮人で三代目の池田大作の時代
から。②創価学会の中枢は在日朝鮮人人脈に乗っ取られている。だから、コシミズに
とって、創価学会の中枢にフリーメイソンの会員がいる可能性に触れたくないんですよ。
そう、考えると、納得できるでしょ。アメリカで、モルモン教とか、エホバの証人とか
いったカルトを創設してきたフリーメイソンが、日本で何もやっていないわけないじゃないすか。

大日本皇道立教会のメンバー~

中山忠英(大日本皇道立教会の初代会長)
→祖父は光格天皇

千家尊福(大日本皇道立教会の初代副会頭)
出雲大社教創始者、司法大臣、男爵

児玉誉士夫
→右翼の大立者、CIAの工作員
統一教会の幹部、A級戦犯、稲川会の顧問
三男はTBSサービス社長の児玉守弘

土方久元(大日本皇道立教会の初代会頭)
土佐勤王党の党員、宮内大臣、伯爵、
孫は四条隆愛

三島彌太郎(大日本皇道立教会の第二代副会頭)
日本銀行の総裁、横浜正金銀行の頭取、
子はフリーメイソン会員の三島通陽
義理の甥(姪の夫)はフリーメイソン会員の吉田茂
子孫は麻生太郎、親族は大久保利通
四条隆愛(大日本皇道立教会の第二代会頭)

→陸軍少佐、義父は徳川慶喜、祖父は土方久元、
子は四条隆徳、甥はフリーメイソン会員の三島通陽

四条隆徳(大日本皇道立教会の第三代会頭)
貴族院議員、父は四条隆愛

秋月左都夫(大日本皇道立教会の第三代副会頭)

読売新聞社の社長、京城日報義の社長、
義理の甥(嫁さんの甥)はフリーメイソン会員の三島通陽

大隈重信
早稲田大学の初代総長、フリーメイソン会員

牧口常三郎
創価学会の初代会長、腹違いの兄弟は出口王仁三郎???
戸田城聖
創価学会の第二代会長

一木喜徳郎
→内務大臣、宮内大臣、枢密院議長、男爵

安楽兼道
→内務官僚、政治家。県知事、貴族院議員、警視総監、実業家、錦鶏間祗候


土方久元、三島彌太郎、四条隆愛、
四条隆徳、秋月左都夫は、みんな親戚

大日本皇道立教会は、南朝を正統とし、その皇道に沿った教育を行う趣旨の元で
911年に創立された。

明治2年(1869)から昭和22年(1947年)まで存在した
近代日本の貴族階級である華族から構成されている。

家督を継いだ中山忠英の三男中山忠徳は神道を究められ
その門下には大本教の開祖・出口王仁三郎、PL教団開祖・御木徳近
戦後の再考の易学陽明学の大家・安岡正篤
そして山蔭神道宗家の山陰基央らを輩出させている。


薩摩藩加治屋町の出身者~

西郷隆盛
→日本の武士、軍人、政治家、維新の三傑

大山巌
→第二代警視総監、内大臣陸軍大臣貴族院議員、元老
西郷隆盛の従兄弟。

西郷従動
→元帥海軍大将、内務大臣、貴族院議員、元老
西郷隆盛の弟。

井上良馨
→元帥海軍大将

黒木 為楨
近衛師団

東郷平八郎
→元帥海軍大将、大日本皇道立教会、世界三大提督

村田新八
→日本の武士、政治家

山本権兵衛
→第16・22代内閣総理大臣海軍大臣外務大臣

篠原国幹
→日本の武士、陸軍軍人

山本英輔
連合艦隊司令長官
山本権兵衛の甥。

岩下方平
→日本の武士、政治家。

樺山資紀
→第3代警視総監、海軍軍令部長、台湾総督、枢密院顧問官
長男は売国奴のヨハンセングループ・樺山愛輔。

牧野伸顕
内大臣売国奴のヨハンセングループ
父親は大久保利通

田代安定
民族学者、植物学者

大久保利通
→大蔵卿、内務卿、維新の三傑
玄孫に寬仁親王妃信子、麻生太郎武見敬三
三男は大日本皇道立教会の大久保利武。

吉井友実
元老院議官、日本鉄道社長

毛利正直
→武士、華道家、大石兵六夢物語作者

東郷実猗
→武士、東郷平八郎の兄

東郷実武
→武士、戊辰戦争で戦死、東郷平八郎の弟

池上四郎
→武士、軍人

有馬新七
→武士

西郷吉二郎
→武士、西郷隆盛の弟

西郷小兵衛
→武士、西郷隆盛の末弟

宮原晃一郎
→児童文学者

明治維新から日露戦争までの期間に活躍した薩摩藩関係者の多くを加治屋町出身者が占めていることから、歴史小説家の司馬遼太郎は「いわば、明治維新から日露戦争までを、一町内でやったようなものである」と評している。

鹿児島加治屋町教会
メソジスト系の日本基督教団の教会。


●戦犯大帝ヒロヒトラーとヨハンセングループ(加治屋マフィア)の売国犯罪

終戦の8月14・15日の
陸軍クーデターと言われる事件は

戦争終結に反対する
一部陸軍将校が

玉音盤奪取を企て
戦争続行を主張したとされる。

だが
それは鬼塚氏によれば

天皇一族・木戸幸一内大臣
ヨハンセングループによって仕組まれた

ヤラセのクーデターであって

その目的は
陸軍の反乱を防ぎ

天皇
天皇一派の財産と命の安全)
の安泰を企図したもの
だったのである。

昭和20年8月15日には
実は広島にあった

陸軍の半分を指揮する
第二総軍司令部は

8月6日の原爆で
既に壊滅していた。

だからクーデターは
起こせない状況にあった。

天皇一派は、陸軍による
戦争継続を求めるクーデターを
一番警戒していた。

そのために
終戦決定に当たっては

陸軍の叛乱が
絶対に起きないように
手を打っておかねばならなかった。

広島にあった陸軍の
第二総軍司令部が

原爆で壊滅したのは
偶然ではなかったのだ。

天皇一族は
なんと

昭和20年6月の時点で(!)

ヨハンセングループを通じて
原爆投下の情報を

実質的米国権力者の
スティムソン陸軍長官からの
指令で受け取っていた。

ヨハンセングループとは
米国機密文書にでてくる

秘密名の
日本側組織であり

参加者は

牧野伸顕(加治屋マフィア)
吉田茂 (麻生太郎・祖父、クリスチャン)
樺山愛輔(加治屋マフィア、メソジスト派のクリスチャン)
岡田啓介
米内光政

達であった。

このグループは
当然ながら戦犯に指定されていない。

スティムソン陸軍長官から
グルー駐日米大使

さらに
ヨハンセングループへと
ルートがあり

そのルートを通じて

天皇一派は戦時中も米英勢力と
繋がっていたのである。

昭和天皇
20年6月に

スティムソン側から

原爆投下の場所と
日時を決めるよう
要請を受けた。

そして広島に
8月6日
午前8時頃と

回答したのは
天皇一派であったのだ。

その仲介をしたのが
ヨハンセングループであった。

つまり天皇は敗戦によって
自分の生命と財産が保全されることが
連合軍に保障されたので

ポツダム宣言受諾という形で
敗戦を決めたが

それを陸軍に
邪魔されたくなかったので

米軍に頼んで広島の陸軍司令部を
叩き潰してもらったのであり

広島市民40万人は
その犠牲にされたのである。

当時の陸軍大臣
阿南惟幾

8月15日未明に
割腹自殺を遂げているが

その直前に部下に
「米内(海相)をきれ!」
と言い残している。

阿南陸相
一連の原爆攻撃から

終戦工作の経緯を
知っていたのかもしれない。

ヨハンセングループの
連中は、戦後、口を揃えて

原爆投下は終戦のための
「天啓」だったと発言した。

9.世界各国で暴露される侵略戦争の実態

サンフランシスコ会議議事録 

パキスタン チャンドリイ・モハメッド・ザフルラ・カーン外相(1951年9月6日)

四年になんなんとする間に、日本の侵略の潮はアジア各国に放火と殺戮(さつりく)とを齎(もたら)したのであります。その潮がやっと堰(せ)き止められ遂(つい)に押し返されました。その跡に残りましたのは、荒廃した土地、打ちひしがれて、困苦、貧窮、屈辱に喘ぐ人々でありました。最も耐え難ったのは屈辱、人間の尊厳に対する暴行侮辱でありました。遂にその終末が参りました。そしてその幕切れはまったく突然でありました。日本の占領すなわち死の苦しみに対する熾烈(しれつ)な記憶は依然として消えずしばしば悪夢となって蘇ってくるのであります。それが生き残った者の状態であります。彼らは甘んじて許しも致しましょう。又努めて忘れようとさえ致しましょう。しかしあの無残な、苦難の下に生命を失った人々は何となりましょうか。この人々を忘れ、この人々に代って許すということは一層難しいと思われるのであります。

インドネシア アーマド・スバルジョ外相(1951年9月7日)

日本人による占領期間中にインドネシアが被った損害は二重であります。第一に、約四百万名の人命の損害があり第二には数十億ドルの物質的損害があります。私はここでその数字を述べることは差し控えましょう。何故ならそうすることはこの会議の主旨にそわないでありましょうから、しかし私の政府は、具体的事実と数字をつかんでおり、それらを適当な時期に適当な場所で提出するでありましょう。

(下2に続く)